記事公開日:2021年9月22日
「Inclusive・日本語教育」ユニットは、2020年度にリニューアルされたEVRIの研究ユニットの1つであり、インクルーシブの視点から「学びづらさ」を多面的にサポートするInclusive教育サブユニットと、日本の言葉・文化を伝えつつ他者とともによりよい社会を創出することを目指す日本語教育サブユニットから構成される。
このユニットでは、EVRIのミッションとヴィジョンを実現するために、学びの権利を実現し拡張する「社会」に着目し、誰でも・いつでも・どこでも学ぶことができるシステムと空間をデザインする研究を推進している。
国際化・多様化・複雑化する日本社会において、地域で、学校で、家庭で、ありとあらゆる人たちが不自由なく学ぶためには何が必要だろうか。科学技術の進展や世界的な感染症の流行によって、これまで当たり前だった学びが成り立たなくなった今、私たちはどうやって新しい時代の学びを作り出していけばよいのだろうか。
この問いに対して、Inclusive教育と日本語教育、そして心理学が協働することで、どのようにこたえていくことができるのだろうか。ユニットリーダーの川合紀宗教授、サブユニットリーダーの森田愛子教授、そしてユニットメンバーの永田良太教授の3人に、それぞれの専門とする学問の視点から語っていただくとともに、ユニットの展望について鼎談という形で語り合っていただいた。以下では、一連のインタビューの内容や各種資料を再構成してユニットの全体像を描いていく。
ユニットのリーダーであり、Inclusive教育の専門家である川合教授は、「全ての子どもたちが生まれてきてよかったと思ってほしい」という想いを胸に、以前から自身の専門分野にこだわらず、他の領域の専門家とともに共同研究を進めてきた。
【川合の主な研究・著作】
①Basister, Michel, P. & Kawai, Norimune. “Japan’s educational practices for mathematically gifted students.” International Journal of Inclusive Education, 22,1-29, 2018.
②Tatsuta, Mizuho, Kawai Norimune, & Ushiyama Michio .”Quality of life of people with intellectual disabilities: Current trends in Denmark.” Journal of Special Education Research, 6(2), 1-11, 2018.③川合紀宗「『気になる子ども』の行動特徴と手だて」伊藤圭子編『「気になる子ども」と共に学ぶ家庭科』,開隆堂出版,12-17,2017年10月.
その越境する研究活動の原点は、修士・博士の学位を取った米国と、就職した日本(広島大学)との「研究者」像の違いにあるようだ。
「自分の分野はここだからこれしかしませんというのは、アメリカであれば研究者が多いのでそれで済むんですね。私も、もともとは言語障害の中の吃音が専門で、アメリカいたときは吃音の研究だけすればよかった。ところが日本に戻ってくると、特別支援教育全般も研究するし、インクルーシブ教育などの研究もする。社会情勢に応じて、ある種フレキシブルに対応しないといけなかったのです。」(川合)
言葉通り、EVRIが発足してからは、旧「インクルーシブ」研究クラスタ(2017年度~2019年度)のリーダーとして、特別支援教育と教科教育のタッグで研究を進めてきた。さらに、2018年度からは、公益財団法人日本生命(以下、ニッセイ)が主催する研究助成事業に継続的に採択され、インクルーシブ教育や日本語教育、心理学、教科教育の専門家と協働した研究を推進している。
公益財団法人日本生命財団が主催する研究助成事業に関する一連の活動をまとめたページはこちら。
ニッセイのプロジェクトを通して、川合教授は「特別支援だけで固まらずに、教科や心理学、日本語教育など異なる専門性を持ち寄ることで、お互いの領域にはない発想を生み出していくことができていると実感している」と語る。また、研究者同士がつながったことで、今後も大きな示唆を得られると期待する。
様々な専門家と協働する必要性を感じたのは、川合教授が調査や研究を通して接してきた、「学びづらさ」を抱える子どもたちの姿にある。
「小学校段階ではどうにかなっても、中学校・高校と進んでいくと、やっぱり教科の学びがある程度できていないと次がしんどくなるんですよね。学習自体も複雑になりますし、心理的な対応というのも必要になってくる。そういった学びにくさのある子どもたちへの支援を考えるときに、巷では『こういう時はこんな方法が』といったハウツーが流行ることも多い。確かに、教科の学びは特に成績や受験も大きく関係するので、そうなりやすいと思います。だからこそ、インクルーシブ教育では単純なハウツーに走るのではなくて、教科教育学研究者と協働して、その教科で絶対に学んでほしいことというのを共有して、本当に子どものためになる教育を考えていくべきなんです。」(川合)
鼎談では、「学びづらさ」を多面的にサポートする必要性がよくわかる、こんなやり取りがあった。
- 「心理学には言語心理学という分野があるように、日本語教育との関わりはもともと深いところがあります。そのため、例えば算数が苦手な子どもがいた時、「数学的な能力に問題があるのかな?」と思いがちですが、問題文の意味が分からない、という言語の問題を抱える子どもの支援も考えられます。」(森田)
- 「確かに。その逆で、日本語はおぼつかないけど、成績はすごくいいというケースもありますよね。もともと特別支援教育には教育学を専門とされる方と心理学を専門とされる方の両方がいらっしゃって、心理学と特別支援教育の親和性はすごく高いですし、言語の支援というところでは日本語教育との協働がとても大事ですね。」(川合)
- 「言語の問題があるために、学びにくさを感じる子どもの支援というとき、日本語教育だと日本語、学習言語の習得が主になりやすいです。でも、森田先生が言われたように、初めから言語の問題だと決めつけずに、算数だったら数学的な思考の習得に支援がいるのか、それとも文章が読めないのか、といった幅広い視野から、学びにくさの理由を探っていく必要があるな、と思います。」(永田)
- 「日本語を母語とする子どもでも、問題文が分からなくて問題が解けないということはあります。だから、母語に関わらず、すべての子どもに何らかの学びにくさがあるのかもしれない、ということを考えながら協働していくことが望ましい形だと思います。インクルーシブ教育という考え方によって、もっと多くの子どもの学びにくさを見つけて、支援していくことができるようになっていくんじゃないかと思います。」(森田)
様々な専門家がタッグを組むことで、それぞれのウィークポイントを補い、すべての子どもたちが「学んだ!」と思えるような教育のあり方を目指す。それが、インタビューを通して見えてきたこのユニットのコンセプトと言えるかもしれない。
引き続き、Inclusive教育サブユニットの話を伺っていく。川合教授の考える、これからのインクルーシブ教育のあるべき姿とはどのようなものなのか。
川合教授は、インクルーシブ教育研究を教科教育、日本語教育、心理学と協働しながら進めてきた。その根底には、従来のインクルーシブ教育研究に対する「違和感」がある。
「インクルーシブ教育研究では、アティチュード、つまり学校教師がインクルーシブ教育をどのようなものとして捉えているかを明らかにする研究が増えてきて、世界中を席巻しています。ある国の教師がインクルージョンに対してどのような態度を取っているのかを調査しよう、次はこの国ではどうか調査しよう……と、誰も彼もみたいな感じで、同じパターンの研究が結構あるように感じます。」(川合)
事実、川合教授が研究代表者を務めたニッセイのプロジェクト研究でも、教師が「障害者」をどのような存在として認識しているのかが調査されている。
【関連する研究成果】
①久保・川口(2020)「教師にとっての「障害者」とは誰か」『特別支援教育実践センター研究紀要』第18号、pp.11-18.
新しい分野であるインクルーシブ教育研究では、ある研究テーマが見つかると、多くの研究者が同じような研究に取り組みはじめるという。しかし川合教授は、学びにくさがある子どもの学びを支援するという観点から、より幅広い研究も必要だと考えている。
「態度ももちろん大事なんだけれども、先生がきちんと技量をつけられているかとか、子どもの学びをしっかりと見取ることができるのか、とか。「合理的配慮」も含めてですけど、どういった環境的な要因をうまくコントロールすることで学びが促進されやすいのか。そういった点を、研究を通してもっと実践に落とし込みたいという思いがあるんです。」(川合)
インクルーシブ教育は大事だ、という意識があるからこそ、どのような研究も実践もインクルーシブだ、とりあえずインクルーシブと言っておこう、というようなスローガンとなってしまうのではないか。そうした状況に危機感を持つ川合は、インクルーシブ教育研究の論点整理と新たなテーマ創出に取り組もうとしている。
川合教授は、中央教育審議会教育課程部会特別支援教育部会(2015~2017年)での専門委員や、文部科学省が作成した「教育支援資料」の編集協力者を務めた経験から、教育行政においても特別支援教育とインクルーシブ教育の違いがはっきりとあるわけではないと語る。
「国際的には、国連とかユネスコが言っているインクルージョンというものと、それぞれの国で唱えているインクルージョンというものが違ったりします。また日本国内でも、特別支援教育とインクルーシブ教育の違いがうやむやになっています。そういうところをうまく整理していかないといけないというのが課題の一つ。そこからさらに、多様なインクルーシブ教育があるなかで、何が妥当なのかってところですよね。」(川合)
国際的には国連やUNESCOがインクルージョンという概念を示しているが、それもインクルーシブ教育の一つの考え方に過ぎず、その国の状況に応じて多様な展開を見せている。
例えば、日本では特別支援学校だけではなく、様々な学校・学級で行われている。インドネシアは通常の学級に一人でも特別なニーズのある子どもがいればインクルーシブ教育と呼ばれるという。
誰か、どこかの「インクルーシブ教育」を完璧なものとして考えるわけではない。だからといって、あらゆるものを「インクルーシブ教育」と呼んでいい、ともならない。「インクルーシブ教育」として共有されるべきことと、その国の状況に応じて変化させていいこととの両方を考えていかなければならない、と川合教授は強調する。
「特に日本の場合は、広島大学に国立特別支援教育総合研究所のブランチオフィスができました。だから、日本での実践がここに集められることで、日本全体のインクルーシブ教育をつなぐ役割をEVRIだったりInclusive・日本語教育ユニットだったりが果たせるんじゃないかなと思っています。」(川合)
広島大学は国立特別支援教育総合研究所と包括連携協定を締結しており、夏にはオフィスが拡張される(詳細はこちら)。今後は日本中のプラクティスを集積して研究に活用していくことで、日本の状況に応じた政策の策定に寄与できるのではないか、と川合教授は言う。
これまではどちらかというと「インクルーシブ教育」という領域を知ってもらうために情報発信を続けてきたが、川合教授は今後は教科や日本語教育、心理学などと協働しながら、多様な学びに応じていくような研究を進めようと計画している。
「インクルーシブ教育自体が様々な教科同士や、教科と日本語教育、教科と日本語教育と心理学などを結ぶハブになっていくんじゃないかと思います。でもそれはすべてがインクルーシブ教育を中心にやる、という意味ではなくて、ちょっとインクルージョンの考え方を持ってもらう、実践してもらう。それでいて、教科として学ぶべきことはきちんと学べるように、インクルーシブ教育になりすぎないように調整もする。そんな役割を私たちインクルーシブ教育研究者が果たしていかないといけないなと思います。」(川合)
その取り組みの一例が、2021年2月にアメリカのスクールサイコロジストであるバーンズ亀山静子氏らを招いて行ったオンラインセミナー。異なる立場にあるシンポジストが集まり、なおかつ参加者が100名をこえ、まさに多様な人々を「インクルーシブ教育」という結節点で結んだ活動となった(開催報告はこちら)。また6月からは,「教科教育学・心理学・日本語教育学の視点からインクルーシブな学びを考える」というシリーズも開始。第1回は、インクルーシブな社会の実現に向けて、社会科教育・授業・教師の在り方について考えを深めた(開催報告はこちら)。
日本と世界、インクルーシブ教育と教科、日本語、心理学、研究と政策など、様々なものが出会う場を用意し、結びつけていくInclusive教育サブユニットの取り組みはこれからも続く。
続いて、日常的な会話がどのように成り立っているのかを研究することで、日本語教育へ寄与してきた永田良太教授に、「日本語教育」サブユニットに関する取り組みを伺った。永田教授も、川合教授と同じく協働の大切さを語る。
「日本語教育自体がものすごく広い領域だから、単独でできることにはやっぱり限界がある。これからは「繋ぐ」っていうことがさらに大事になってくるんじゃないかな。いま○○学とか○○省とかもそれぞれの役割があるけれど、全部が繋がって合わさって一つの社会をつくっている。だから、便宜上の区分を超えて、支援を受ける一人の人間っていうところから今の支援の在り方をみなおしていかないと、っていうことを今感じています。」(永田)
専門とする社会言語学・談話分析の研究から、日本語教育へ示唆を与えてきた永田教授にとって、自身の専門性を高めることと、他領域と協働することとは連続している。下記の研究成果も、そういった他領域の専門家とともに生み出されたものだ。
【関連する研究成果】
①成・龔・岩井・永田(2018)「「美味しさ」を表す言語的表現と共起する非言語的表現」『広島大学日本語教育研究』第28号、pp.1-6.
②永田(2017)「「ほめ」は談話展開にどのように関わるか」『広島大学大学院教育学研究科紀要 第二部 文化教育開発関連領域』第66号、pp.129-135.
③永田(2016)「日本語母語話者と日本語学習者の接触談話における「ほめ」」『語文と教育』第30号、pp.139-150.
この永田教授自身の研究に対する考え方は、どこから来ているのか。それが、サブユニットの活動にどのように波及していくのか。
技能実習生、留学生、外国にルーツを持つ子どもたち…。日本に暮らし、日本語を使う必要に迫られる外国人は多い。そんななか、日本語教育では、誰に教えるのか、という点でまず整理が必要だと永田は言う。
「例えば、日本語教育って聞いたとき、誰に教えるのか、どんな人を思い浮かべますか。日本語教育だと、誰に教えるかっていうところが本当に様々あって、難しい。小学生に教えるのか、働いている社会人に教えるのかによって、教え方も違うし、教える内容も違ってきますよね。」(永田)
さらに、同じ「小学生」だとしても、日本語教育の場合は何年生だったらこの目標、ということにはならない。
「学校の話に限定してみても、1年生のクラスにいる子どもと6年生のクラスにいる子どもでは、日本語の能力というところで言えばどちらもゼロスタートという点では同じだけれど、学年が違えば時間割も使われている語彙の程度も違う。だから、単にそれぞれの学年に入れてやればいいというわけではないんです。」(永田)
また、子どもが何歳で日本に来るのかも大事だと言う。ある程度成長した状態で日本に来ると、母国との文化や言語とのギャップに苦しむこともある。そのため、子どもが学校にいる間だけではなく、日本に来る前や日本に来てからどうなっていくのかを考えながら、支援を行っていく必要がある、と永田教授は強調する。
「小中連携とか幼少連携とか、いろいろと「連携」が言われているけど、外国の子どもたちが日本の学校や社会になじんでいけるのか、っていう、母国での生活と日本での生活の「連携」っていうのもあるんじゃないかな。」(永田)
子どもの場合は親の状況によって、急に日本へ連れてこられる、しかも急に母国へ帰らないといけなくなることもあるため、母語も日本語も不十分なままになってしまうこともあるという。短い期間だけの滞在であれば、学校に行かせなくてもいいのではないか、という場合もあり、日本語教育は必ずしも学校でやれば十分ではない、という点が難しさの一つだ。
永田教授は、日本語教育が「誰を対象にするか」という視点から今後の課題を指摘する。
「日本語教育で話題になっていることを、ざっくり対象者というので分けると三種類ぐらいある。一つは子ども、もう一つは留学生、そして地域に住む外国人。」(永田)
まず子どもの場合は、日本語学習が継続して行われているか、という課題がある。小学校、中学校、高校と段階を経るごとに学習内容は積み上げられていく。そのため、小学校で学んだ日本語が基礎となって、中学校の学びがある、という継続的な視点で日本語教育を考えていく必要があるのではないか、と永田教授は指摘する。
そして、この問題は学校での日本語教育だけでなく、地域に住む大人の日本語学習者でも同じだと言う。
「地域に住んでいる人だと、仕事だったり家庭のことだったりがあって、それらにプラスアルファで日本語を勉強している。だから、日本語を学ぶ時間に来たり来なかったりして、なかなか難しい。」(永田)
学習者それぞれの生活に合わせて、必要な日本語を学び続けられるような支援体制の構築が不可欠であるが、それは日本語教育だけでできることではなく、やはり行政や様々な研究との協働の必要性を永田教授は強調した。
また、日本語学習の現場にも足を運び、現場と研究の両方で日本語学習を支援してきた永田教授にとって、現場と研究の関係についても葛藤があるようだった。
「現場の先生と話していると、いま目の前にいる子どもを助けたいからすぐ使えるハウツーを教えてほしいという気持ちが伝わってくるし、それはそれで正しいと思う。もちろんそれを求められた時は答えるけれど、研究としてはそれで終わりではなくて、より長く、より確かに効果がある支援を考えたい、そんな葛藤がある。」(永田)
永田教授は2017年度よりEVRIが従事してきたHUGLIプロジェクト(Hiroshima University Global Learning Institute)の一環として、2018年にインドネシアのダルマプルサダ大学を訪れ、現地の日本語学科の大学教員を対象に日本語教授法についての講義を行った。コロナ禍によって現地に行けなくなった2020年以降は、オンライン会議システムを活用して現地の授業参観と検討会を実施したり、オンラインで両大学合同の研究交流会を開催したりと、関わりを続けている。
EVRIが関わるHUGLIプロジェクトに関する活動紹介のページはこちら。
世界中へ日本語教育を広め、その質を上げようと努めている永田教授は、日本語教育にどのような展望を抱いているのか。
「外国から来た子どもたちを今ある日本の社会に適応させようっていうだけだとすごく苦労すると思います。もちろんそれも大事なんだけど、社会の側も少しずつ変わっていって、両方が変わっていく、っていう発想もあるんじゃないかなと思うんですよね。」(永田)
現在、外国人児童生徒の数は増え続け、国際理解や日本語教育もその重要性を増してきている。近年では隣に座っている同級生がその文化を持っていることも十分に考えられる。
「僕なんかは田舎で育ったから、外国人というのはほとんどいなかったけど、今は同じクラスで同級生がお祈りに行っていますとかラマダンですとかっていうのが考えられる。そうなると、これまでニュースの世界だったのが、突然身近になる。その時に、相手の事情を慮っていくっていうことが国際理解なんじゃないかな。」(永田)
社会が変わっても、日本語教育のミッションである「日本の言葉と文化を伝えること」は変わらない、と永田教授は言う。では、いかにして日本の言葉・文化を伝えながらも、相手の文化を尊重し、お互いがより住みやすい社会を創っていくことができるのか。
ここでも永田教授はそのあり方を具体的な行動で示している。一例として、広島大学では2020年度から、インドネシアのダルマプルサダ大学の学生に対してオンラインによる日本語チューターリングを行っている。そこでは、大学生・大学院生が日本語の会話の仕方や言葉の使い方などを教えているが、参加する院生は「普段使っている日本語の「当たり前」が問い直され、僕自身も勉強になっています」と語る(関連するセミナーの開催報告はこちら)。
永田教授にとって、日本語教育という取り組みは、今の日本に住む人たちが「当たり前だ」と思っていることを見直すきっかけを与えてくれるものだ。
「日本語教育は外国人のためだけにあるものではない。日本語を母語とする人にとっても様々なきっかけをくれるチャンスなんじゃないかな。」(永田)
永田教授が見通す日本語教育の展望は確かに開かれつつある。
本ユニットの活動には、特別支援教育、インクルーシブ教育、日本語教育などに加え、教科教育や心理学といった他領域の研究者も加わっている。
本ユニットサブリーダーである森田愛子教授は、教育心理学者として、読解を中心とし、学習活動における学習者の認知を専門とする。森田教授は心理学の立場から、この活動に加わる意義をどのように見出しているのか。お話を伺った。
【森田の主な論文・著作】
①Morita, A., & Kambara, T. (in press). Bizarreness and typicality effects of color on object recognition memory. Perceptual and Motor Skills.
③徳岡・森田 (2020)「他者のためになると思うことは学習行動を促進するか」『協同と教育』 第15号,pp.23-33.
④森田・福屋・舩越(2017)「中学生のテスト不安および自己効力感と学習行動との関連」『学校心理学研究』第17巻第1号、pp.1-13.
森田教授は、心理学の中でも「学習科学」という分野を専門にしている。学習科学では、人間がどのように物事を学習するのか、そのメカニズムを明らかにすることで、より学習を促すための教材作成や授業の構成などへエビデンスを提供する。
【関連する学習科学の研究成果】
①森田・高橋(2019)「音声化と内声化が文章の理解や眼球運動に及ぼす影響」『教育心理学研究』第67巻第1号、pp.12-25.
②森田・小澤(2015)「視野と内声化トレーニングが読み速度に与える影響」『教育工学会論文誌』第39巻Suppl号、pp.45-48.
もともと心理学には、人間の行動メカニズムを明らかにするという側面と、カウンセリングや適応支援など、何らかの学びにくさや生活上の難しさを抱える子どもを支援するという側面がある。幅広い関心を持つ森田教授にとって、この両面のどちらもが、Inclusive・日本語教育ユニットに在籍する理由だと言う。
「いわゆる定型発達、マジョリティの人たちへの支援だけでは至らない部分を、心理学・学習科学の研究者として参加することで補える、と私は思っています。」(森田)
学習科学の研究者という立場から参加することで、学びにくさのある子どもの学習を促すために、どのような教材が有効なのか、どうやって授業を進めていけばいいのか、といった角度から、インクルーシブ教育を考えることができると森田教授は語る。
さらに、言語心理学の研究者という立場から、日本語がどのように獲得されていくのか、日本語の文章を読むという能力がどのように育まれていくのか、といった日本語教育との接点もある。
「自分の研究関心という点でも、日本語をどのように獲得していくのかというのに興味があります。漢字圏の人とそうでない人で、読解がどのように行われているのか、といった言語心理学の視点からの興味というのもあります。」(森田)
【関連する日本語学習の研究成果】
①馬・森田(2020)「中国人日本語学習者の漢字熟語の同音判断に構音抑制が及ぼす影響」『Second Language』第19巻、pp.57-76.
森田教授にとってInclusive・日本語教育ユニットに参加するということは、学習科学研究者としてインクルーシブ教育を支えることができる、ということと、言語心理学研究者として日本語教育との接点があるということ、二つの意味を持つ。
「うまく文字が認識できない人と、認識はできるけど読解ができない人、そもそも言語が分からない人、それぞれ違う支援の仕方が必要ですが、じゃあどういう支援が必要なのか、その人たちはなぜそういう学びにくさを抱えているのか。それらを明らかにするのは心理学でできることだと思います。」(森田)
ひとくちに「インクルーシブ教育」といっても、一人ひとりが抱える学びにくさは異なる。しかし、森田教授は人間の学習メカニズムという大きな枠組みは共通しているため、そのメカニズムのどこでつまずいているのかを明らかにすることが重要だと言う。
「明らかになった学びにくさを支援しましょうというときに、いろいろなシステムだったりハウツーだったりが作られますが、それらにきちんとエビデンスがあるのかどうか、というところも気になるところです。」(森田)
学びにくさが明らかになっても、それを支援しなければ意味がない。しかし、支援も経験や勘だけに頼るのではなく、しっかりとエビデンスがあるべきだと森田教授は言う。
「もちろん経験や勘というのもうまくいくことがあります。だから、そういった経験とか勘とかがなぜうまくいくのかを調べることで、多くの人が使いやすく、しかもエビデンスがある支援というのが考えられる。うまく両者を組み合わせていけば、最強の支援になるんじゃないかなと思っています。」(森田)
どうしても学習支援や教育実践などでは「その学校だからできた」「その先生だからできた」ということが言われやすい。だからこそ森田教授は、その事例を科学的に分析し、何が成功をもたらしているのかを明らかにする研究が重要だと考えている。
「あくまでもいろいろな要素が関係しあって、その支援がうまくいくということだと思います。しかし、できる限り要素を突き詰めて考えていく人もいたほうがいいのかなとも。」(森田)
「心理学は確かに原理原則を明らかにしようとします。ですが、それがちゃんと現実のなかで再現されるかどうか、というところを確認していく必要があると思っています。」(森田)
こう言った森田教授が例に挙げた研究が2018年に発表された「地理的な見方・考え方を妨げる要因の検討」だ。
【研究成果】
① 福屋・森田・草原・渡邊・大坂(2018)「地理的な見方・考え方を妨げる要因の検討」『教育工学会論文誌』第42巻第1号、pp.65-72.
この研究では「どのような読解の仕方が地理的な見方・考え方の習得を促すのか」を明らかにしているが、この時に注意したことは実験室のなかだけで考えないことだと言う。
「完全に統制された状況で研究することも大事ですが、机上の空論になりかねないところもあります。だから、心理学の実験室で測っている読解と、教科や支援の現場でなされている読解とが同じになるようにしたほうが良いなと思います。だから地理の専門家に入っていただきました。」(森田)
しかしそれは、心理学者が教科や支援をすべて知っておくという意味でも、教科教育学者やインクルーシブ教育研究者が心理学の実験を行う、という意味ではない。
森田教授はそれぞれが専門的な視点をもちよるからこそ、研究が発展していく、もっと効果的な支援が考えられるのではないか、と述べる。
「それぞれの観点があるからこそ発展します。心理学的なエビデンスを集めるというときには、心理学に任せていただいて、支援の仕方を考えるときにはインクルーシブ教育や教科教育の専門家と一緒にやっていくというのが大事だと思います。」(森田)
心理学という立場から、インクルーシブ教育、日本語教育、教科教育との協働について語る森田教授には、エビデンスを提示して教育実践をもっと良くしたいという思いと、心理学を他領域・現場に開いていきたいという思いがある。
Inclusive・日本語教育ユニットで、インクルーシブ教育、日本語教育、教科教育を俯瞰し、三者の協働を心理学がさらに加速させていく。そんな化学反応を起こす触媒となりつつ、心理学自体も変わろうとしているようだ。
冒頭で述べたように、2018年度からは、川合教授を代表とする本ユニットのメンバーが中心となって、ニッセイが主催する研究助成事業に継続的に採択され、インクルーシブ教育や日本語教育、心理学、教科教育の専門家と協働した研究を推進している。
公益財団法人日本生命財団が主催する研究助成事業に関する一連の活動をまとめたページはこちら。
ニッセイのプロジェクトを通して見えてきた「協働」のあり方はどのようなものなのか。3人の鼎談の様子をお届けすることで、本ユニットの活動の可能性をあらためて展望してみたい。
以前から「特別支援だけで固まらないようにしたい」とは考えていました。特に、ニッセイではさらに包括的で効果的な学習支援を目指して、教科教育や日本語教育、心理学の先生方にご協力いただけました。学びにくさのある子どもたちへの支援は、「こういう子にはこんな支援が良いよ」といったハウツーが広まりやすいですし、教科の学びは成績・受験に大きく関わるので、ハウツーが求められやすいんだと思います。
でもだからこそ、研究としては「なぜそのハウツーが良いのか」「その教科で学ぶべきことが学べているか」と考えていくべきです。だから教科教育学の先生方と一緒に「この教科で絶対に学んでほしいこと」というのを共有することがとても大事になってくるだろうと考えました。目的は基礎的なデータの収集とロールモデルの開発でしたが、研究者同士のつながりが得られたのも大きいですね。(川合)
教科教育学との協働というところは日本語教育にとって、大事だなと感じています。
日本語教育と教科教育などは便宜上分かれていますが、子どものなかでは一つにつながっています。だから、様々な先生方と自由に意見交換する必要があるというのは感じていました。ニッセイはそういった意見交換の場だと思いました。
また、日本語教育学にとっては、ニッセイが公立高校をフィールドにしていることも重要ですね。日本語教育では小学校がたくさん取り上げられてきたし、中学校も徐々に注目されてきています。ですが、高校はそもそも何がどうなっているのか、その実態さえも分からないという状態です。
でも、小学生は中学生になりますし、中学生は高校生になります。だから、高校生の実態を明らかにするということは、小学生・中学生への支援を、より長いスパンで充実させていくためにも重要でしょう。(永田)
心理学としてはフィールドに出るということ自体、重要だと感じます。心理学は人間の行動メカニズムを科学的に見るということと、カウンセラーなどの援助職を養成することとが柱になっています。
行動メカニズムを見よう、となるとどうしても「じゃあ実験して……」となりますが、現実だとどうなっているのかを見るというのは非常に意義があると思います。
また援助職としても、現場で何が起きているのか、現場ではどのような声があるのかを知っておくべきですので、フィールドに出るということは重要だと思います。(森田)
心理学には言語心理学という分野があるように、日本語教育との関わりはもともと深いところがあります。 そのため、例えば算数が苦手な子どもがいた時、「数学的な能力に問題があるのかな?」と思いがちですが、問題文の意味が分からない、という言語の問題を抱える子どもの支援も考えられます。(森田)
確かに。その逆で、日本語はおぼつかないけど、成績はすごくいいというケースもありますよね。
もともと特別支援教育には教育学を専門とされる方と心理学を専門とされる方の両方がいらっしゃって、心理学と特別支援教育の親和性はすごく高いですし、言語の支援というところでは日本語教育との協働がとても大事ですね。
言語の問題があるために、学びにくさを感じる子どもの支援というとき、日本語教育だと日本語、学習言語の習得が主になりやすいです。でも、森田先生が言われたように、初めから言語の問題だと決めつけずに、算数だったら数学的な思考の習得に支援がいるのか、それとも文章が読めないのか、といった幅広い視野から、学びにくさの理由を探っていく必要があるな、と思います。(永田)
日本語を母語とする子どもでも、問題文が分からなくて問題が解けないということはあります。だから、母語に関わらず、すべての子どもに何らかの学びにくさがあるのかもしれない、ということを考えながら協働していくことが望ましい形だと思います。
インクルーシブ教育という考え方によって、もっと多くの子どもの学びにくさを見つけて、支援していくことができるようになっていくんじゃないかと思います。
(森田)
現在、中学校と高校の調査・研究を行っています。その高校には学びにくさを持つ子どもや日本語支援が必要な子どもがいて、学びへの意欲というのもなかなか湧きにくい、という状況です。
そこへ私たち研究者が子どもの学びを支援していくことで、学ぶっていうのは面白いんだ、と思ってほしい。
また、中学校はいわゆる「荒れた」学校でしたが、私自身が4、5年前から関わり、だんだんと落ち着いてきています。昔は何かあると先生が「コラー!」と怒っていたのを、「どうしたん?」と聞き、まず子どもと対話していくように変えていきました。すると、子どもも次第に「いや、実はこういうことがあって……」と話してくれるようになり、少しずつ先生と子どもの信頼関係ができてきたんだと思います。
これらの調査から明らかにしたいのは、学校や子どもの状況がどのように変わっていくのか、さらになぜそのように変わっていくのか、という問いです。この問いを、日本語教育学や心理学、教科教育学など様々なアングルから考えていくことで、ロールモデルを作りたいと思っています。(川合)
このユニットでは日本語、心理学、教科といった広い視野から子どもの学びにくさを理解していけると思います。例えば、日本語支援が必要な子どもが友達とけんかになったとき、日本語で言いたいことを言えないというストレスもあるはずです。
そのため、カウンセリングや異文化適応といった心理学の観点から支援を考えていく必要があると思います。
また、日本語教育という立場からは、やっぱり高校の実態を明らかにする、発信していくというのをやっていきたいですね。
何かこういったトラブルがある、ということよりも、それが認識されていないということが問題だと思います。だから、何がどうなっていて、何が問題なのかをはっきりさせていくようにしたいです。(永田)
心理学者としてはやっぱりエビデンスを大事にしたいと思います。ハウツーでもいいから、目の前の子どもを支援したいという気持ちは分かります。でも、エビデンスのある研究を通じて、しっかりと効果のある支援を考えていくことも大事だと思います。
またエビデンスのある情報を発信していくことで、EVRIだったら、Inclusive・日本語教育ユニットだったら信用してもいいなって思ってもらえるようにしたいです。
また、入学前に子どもの学びにくさを調べるアセスメントを開発してはどうかと思います。アセスメントによって、その子への支援の大きな方針を立てられるんじゃないかと思んですね。
もちろん状況によって支援の在り方を考えるべきですが、子どもの学びにくさをきちんと把握することが重要だと考えています。(森田)
いいですね。色んなアセスメントが考えられそうです。インクルーシブ教育の考え方があることで、言語ではない可能性も考えられるようになりますし、支援の仕方もその子どもに合ったものが考えられると思います。(永田)
ここには、本ユニットに関連して開催されたセミナーやイベント等の成果を掲載する。
ユニットに関連するイベント・活動に関する報告一覧
(他のユニットと合同で開催したものを含む)
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