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他者の語りに開かれた平和教育を目指して「平和教育」サブユニットの活動

記事公開日:2020年12月28日

平和教育サブユニットは、「他者の語りに開かれた平和教育」の構築を目指して研究を展開している。科学研究費・若手研究「他国の語りに開かれた教育観を育成する社会科教員養成のデザインベースド・リサーチ」(19K14238)を通して、平和教育を、過去の悲惨な記憶の継承や特定の文化文脈に閉ざされた語りに留めるのではなく、異国・異文化間での対話を通して平和像を再構築していく場にデザインし直すことをめざしてきた金鍾成先生(以下、敬称略)にお話を伺った。

研究の出発点

 

〇「同じ事象が国によって異なって記憶され、語られる」:歴史の授業から見えてきた課題

⾦の平和教育研究の原点は、彼が韓国の学校と東京の韓国⼈学校に勤めていた時期まで遡る。同じ社会的・歴史的事象が国によって異なる形で記憶されることに対し、金は違和感を覚えたという。

「例えば日清・日露戦争の語りを教科書レベルで比較すると、日本の教科書では「勝利の歴史」「列強入りの歴史」として語られるわけです。しかし、日清戦争・日露戦争は―韓国・朝鮮の戦争でないにもかかわらず―韓国の教科書では被害の歴史の一つとして記述されています。聞いてみると当たり前ですが、あえて振り返る機会をもたない限り気づかないことも多いのでないでしょうか。」

金はこのような語りの相違は「⽇本や韓国の間だけではなく世界中どこでも起きていて、一国のなかでも地域、階層などによって異なる記憶を有する」とし、意識的・無意識的に再生産される語りの構造に大きな問題意識を寄せる。

〇日本と韓国の子どもたちが一緒に教科書を作る

このような問題意識を受けて、⾦は韓国と⽇本の⼦どもが教科書を媒体に対話を行う機会を設けた。具体的には、韓国と日本の子どもが相対国の語りを理解・分析・批判し、さらには互いに「私たち」の教科書を作ることができる「より良い教科書プロジェクト」を開発・実践した。この実践は、教科書を語りの対⽴をめぐる紛争の種から、新たな語りを⽣み出す相互理解の場へと作り替える努力であり、なお、子どもを知識の諸費者から生産者に位置づけなおす試みでもあった。

「私が提案したのは、みんなで教科書を作りませんかということでした。日本と韓国の子どもが一緒に日清・日露戦争についての教科書を、韓国の生活と文化についての教科書を、そして竹島・独島についての教科書を、そしてヒロシマについての教科書をいっしょに作ることをしてきました。」

金は、このような日韓の子どもによる教科書づくりを通して、自国とは異なる「語り」や「記憶」を有する他者と出会い、境界(特に国境)を超えた相互理解を追求する経験の提供を目指してきた。この実践で子どもは金の予想を超えて様々な学びを得たと述べ、その成果を社会科教育の雑誌論文にまとめてきた。

「最初は子どもたちは、こんなに違うことすら分かんなかったというくらいだったのですが、だんだんその違いが分かるようになると、「なんでこんなに違うんだろう」「なんでこんなことがわからないんだろう」といった疑問や反感が生まれてきました。この過程で興味深かったのが、次第に自分ごとになっていったということです。最初は「あぁ竹島ね、領土紛争か」と発言していた子どもが、次第に相手の声を聴く中で、「何がこの領土問題を生み出しているのだろうか」「この問題に私たちはどのように発信しあえばよいのだろう、考えればよいのだろう」ということを考えるようになったんです。」

自分とは関係のない,教科書の中に記述された語りをただ他人事として受け止めるだけだった子どもが、他国の語りに耳を傾け、考えを交わすことが、「社会問題を自分事として捉えさせる効果を持つという事を発見した」と金は語る。教科書の「提案→逆提案→再提案→…」のプロセスを通して創造された国境を超える公共圏への参加は、教科書で取り上げた韓国と日本と関係する社会的・歴史的事象の主体的な理解にも役立ったという。

 

 

デザインベースド・リサーチによる平和教育研究の展開

 

〇デザインベースド・リサーチとは

対話を通して自分たちの記憶や平和観を再構築していく授業が、日韓の関係だけに縛られたり、金だけにできる名人芸にとどまっては意味がない。この取組が有する教員養成や平和教育に対する可能性を最大限に引き出す方法論として採用したのが、「デザインベースド・リサーチ」だった。この方法論は科学研究費・若手研究「他国の語りに開かれた教育観を育成する社会科教員養成のデザインベースド・リサーチ」(19K14238)の基調ともなっている。「デザインベースド・リサーチ」の特質は、単元開発の「デザイン原則」を研究の成果として提案することにある。

「デザインベースド・リサーチというのは、色々な所に活かすことができます。例えばある授業を開発したら、普通はそれをやってくださいとなるのですが、デザインベースド・リサーチは、その一歩手前の、この授業が基盤としているデザイン原則を発信することをめざします。もちろん開発した授業をそのままパッケージとしてためしてもいいし、その背後にあるデザイン原則を活用して授業者自身で自由に展開してもらってもいい。ただ,より汎用性の高いものの提案を意識しています。」

デザインベースド・リサーチの考え方は、金が米国留学時代に交流したBeth, C. RubinとEric B. Freedmanと編纂した書籍Rubin, B. C., Freedman, E. B., & Kim, J. (Eds.). (2019). Design Research in Social Studies Education: Critical Lessons from an Emerging Field. Routledge.に結実している。

金の提案したデザイン原則には社会科学の諸理論が組み合わされている。しかし、それらを貫く核となるコンセプトは、どこまでも異なる語りを有する他者との対話を通した平和像の再構築にある。このデザイン原則は,その後,さまざまな単元の開発に発展していく。その嚆矢となったプロジェクトが、「The Last 10 Feet再デザイン」プロジェクトである。この取組を通して開発された単元は、Maguth, B. M. & Wu G. (Ed.) (2020) Inquiry-Based Global Learning in the K–12 Social Studies Classroom. Routledge.に掲載され、国際的に高い評価を得ている。

 

〇広島平和記念資料館のLast 10 Feetをデザインする

 

広島県教育委員会・学びの変革推進課が推進した「広島創生イノベーションスクール」(2015年ー2017年)の集大成「グローカルスクール in 広島」(2017年7月)のサマースクール・プログラムを草原和博がEVRIとして受託、金がコーディネーターとして参画した。広島県内の高校13校から集まった約90名の高校生が、海外4ヶ国のパートナースクールの生徒とともに「2030年のより良い未来」の実現にむけて社会的提言に取り組んだ。サマースクールでは,米国、日本、インドネシア、フィリピン、ニュージーランドの高校生がヒロシマをいかに記憶するべきかをめぐって対話し,最終的には広島平和記念資料館の「ラスト10フィート(3メートル)の再デザイン」に取り組んだ。

「展示する側と観覧する側の記憶が交差する場」という博物館の特質を生かし、「各国のヒロシマの語りを出し合う公共圏の創造」を目指した同取り組みは、先述した「より良い教科書づくりプロジェクト」とともに日本教育哲学会第62回大会シンポジウムにおいて報告され、その成果は同学会の研究紀要に掲載された。「米国といっても、ニューヨークの子もいれば、テキサスの子も、そしてハワイの子もいる。地域によって「平和」の意味が全く違うし、「ヒロシマ」の記憶が全く違う。子ども一人ひとりがそれぞれの文脈で記憶している「ヒロシマ」がある」と、金は語る。

金鍾成(2020)「他者の語りに開かれた市民を育てるー「広島平和記念資料館の『The Last 10 Feet』再デザインプロジェクトと「より良い『ヒロシマ』教科書づくり」プロジェクトを事例にー」教育哲学会編『教育哲学研究』第121号

〇「広島におけるヒロシマの教育」から「ヒロシマにおける世界の平和教育」へ

金は「広島平和記念資料館のラスト10フィートの再デザイン」プロジェクトに取り組む中で、従来の広島における平和教育の在り方に疑問を抱くようになった。日本の学校の中で原子爆弾の投下とその被害について教えるカリキュラムは「ヒロシマの教育」であり、これでは金が目指す「他者の語り」が入る余地がなくなってしまう。広島で「ヒロシマ」を教える教育を、広島で世界の「平和」を考える教育へと転換することの重要性を金は指摘する。

「広島におけるヒロシマの教育だけを主張すると、じゃあ海外の人はそこから何を学べばいいのだろうということになってしまいます。広島の平和教育と世界の平和教育をどのように繋げばいいのかということを考えるに至りました。」

現在EVRIが支援している広島県立広島叡智学園中学校・高等学校における「未来創造科Global Justice」の共同カリキュラム開発と授業実践プロジェクトは、上述のデザイン原則を活用して進められた。EVRIは、平成30年4月24日に広島県教育委員会教育長室において、広島県立広島叡智学園中学校・高等学校(以下「HiGA」)と研究協力に関する覚書を締し、EVRIとHiGAは未来創造科(総合的な学習の時間)の一領域「Global Justice」の共同開発と共同実践に取り組んだ。

その成果の1つが、2019年度に未来創造科で実施された「より良いヒロシマ教科書」づくりプロジェクトである。本成果は、EVRI研究プロジェクト叢書No.1【平和教育研究拠点形成企画】「より良い教科書づくり」プロジェクト-広島県立広島叡智学園の未来創造科との連携-」にまとめられている。

「「広島でヒロシマを教える平和教育」の「広島で世界の平和を考える教育」への転換としてみると、「ラスト10フィート」プロジェクトと広島叡智学園のプロジェクトでは、目指すところは一貫しています」と金は語る。「Global Justice」の取組成果は、2020年10月よりオンラインセミナーで発信している。

 

第51回定例オンラインセミナーの様子 第53回定例オンラインセミナーの様子

 

〇デザインベースド・リサーチから教師教育へ

デザインベースド・リサーチは、デザイン原則を理解した人であれば、誰でもそれを活用し実践できることを標榜する。科学研究費・若手研究のテーマにも示されているように、金はいまその考え方を教員養成に生かすことを目指している。「これまでにご紹介してきたような平和教育を、日韓両方の言語ができて、両方の状況を知っている私でないと実践できないということではだめだ、むしろこういったことができる教員を養成することが、もっと大事だと思うようになりました」と金は語る。

デザインベースド・リサーチを取り入れた教員養成の取組は、2021年2月27日に開催される研究拠点創成フォーラムNo. 22でその成果が報告されることとなっている。

 

「他者の語り」へと開かれる平和教育へ

 

金のこれまでの取組は、日本と韓国、日本と米国といったような他「国」に焦点を当ててきた。しかし「異なる語り」に着目した平和像の再構築は、さらなる探究の可能性に開かれている。「今は国にフォーカスしていますが、社会的・文化的な他者にも視野を広げなくてはならないと思っています。例えば一つの国の記憶といっても、沖縄における第二次世界大戦と広島における第二次世界大戦、その他の地域の戦争の記憶では違ってくるでしょう。最近取り組もうとしているのは、LGBTQをめぐる「異なる他者」の語りです。ここには本当にたくさんの異なる語りを持った他者が現れます。マジョリティとマイノリティという枠を超えて、どのような異なる語りをする主体相互の葛藤が繰り広がられるのかを明らかにしていきたいです」。

「相互理解は不可能に近い、そもそもできない」と金は語る。私があなたを完全に理解することも、あなたが私の述べたことを完全に理解することもできない。「しかし、それは相互理解を諦める根拠ではなくて、ともに語り続けあう根拠になるはずなのです。だから対話しあうことを基調とした教育が求められるのだと思います」と、金は今後の研究と実践のヴィジョンを示した。他者の語りに開かれた教育の探究は、さらに続く。